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ペットロスを乗り越えるために私が決めたこと

つぶやき

こんにちは、saiです。

いつもご覧いただきありがとうございます。

久々のblog更新なのですが、実はある理由から何も手に付かない状態でした。

大切な家族である猫のコロンが急に体調を崩し介護生活となりました。

残念ながら6月16日にコロンは旅立ってしまいました。

今回は病気ということもあり、亡くなる前から気持ち的にしんどくて正直なんにもやる気が起こらず、かろうじて仕事だけはやっていたという精神状態でした。

言い訳かもしれませんが、blogはもちろん、英語の勉強も大好きなアーティストを追いかけることも、友達とおしゃべりすることも、何もかもに対して心の余裕を持てずにいました。

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当たり前の存在だった犬と猫

小さい頃から犬や猫が当たり前に家にいる環境でした。

いなかったのは、はじめての一人暮らしの時(ペット不可のマンション)と友人とルームシェアしていた時くらい。

だから、ルームシェアを解消した後の一人暮らしの時はすぐに猫を迎え入れました。

名前はマロン。まだ子猫なのに実家の近くにひとりぼっちでいた野良猫でした。

『人間と猫』というより、時に親子、時に姉妹、時に親友・・・私にとってはそんな関係でした。

一昨年(2019年)15歳で亡くなるまで、ずっと一緒にいました。

笑われるかもしれないけど、色んな話を聞いてもらっていました。

楽しいこと、辛いこと、腹の立ったこと、とにかく色々。

私の黒い部分を一番知ってる存在だったかもしれませんww

そんな存在だったので、亡くなった時はかなりショックで俗にいうペットロスという状態でした。

それが原因かどうかはわかりませんが、彼女が亡くなってすぐ注意力散漫になり骨折をし、人生初めての入院も経験しました。

悲しみがようやく癒えはじめた矢先

時は経ち、ようやく彼女の思い出話も口にすることができるようになった今年、もう一匹の猫「コロン」とのお別れが来てしまったのです。

その子はまだ11歳。だからお別れまではうんと先だとどこかで思っていたのに。

突然病気になってしまいました。

室内を徘徊するようになり、平衡感覚がなくなりその場をぐるぐると回り始め、やがてご飯も食べられなくなり、ついにはお水も自分では飲めなくなり、上手に排泄もできなくなってしまいました。

弱っていく姿を見ながら、何もしてあげられない自分の無力さと、そう長くないうちにお別れが来るんだと感じつつも「頑張ろうね」と声をかけ続けていいのだろうか、という葛藤・・・。

人間はもっと長く一緒にいたいという思いから「頑張って」と声を掛けるけれど、この子にとってそれは辛いんじゃないのかな・・・。

いや、でも誰だって死にたくはないよね、
でも体が辛いのに生きていたいと思うのかな、、、

そんな風に毎日毎日思っていました。

もっとお金に余裕があれば高度な医療も受けられて、もっと長生きできたのかも・・・。

自責と、後悔と、罪悪感とか毎日ぐるぐる頭の中をまわっていて、ごめんねばかり言っていました。

ほんと、辛かった・・・。

私の性格上、これまで誰かにツライと言えなかったけど、今回は仲のいい友人にツライって言ってしまいました。

全部が癒えるわけではないけど、ツライと言葉にするだけでほんの少し重く苦しい気持ちが分散されたような気がしたのも事実でした。

ペットの最期を看取ることが続いたこの数年

実は、2019年はもう一つの命の最期を看取っていました。

2019年3月に、ダルメシアンのボンタを私一人で看取りました。

2019年3月に犬のボンタ、10月に猫のマロン
そして今年2021年に猫のコロン、と立て続けに最期を看取ってしまった。

「最後を看取ることができたんだからよかったじゃない」
「(あなたが)いない時に死ななくてよかったと思わなくちゃ!」

そんな言葉にとても傷つきました。

もちろん悪意があって放たれた言葉じゃなく、少しでも私をなぐさめようとしてくれたのだと思います。

でも、命が消えていく瞬間をこの目で見てしまうということはとてつもなく心をえぐられて、本当にしんどいです。

死んでしまったという事実だけじゃなく、命が消えていく経過をこの目で見て感じることは本当に本当にショックです。

今回も命が消えていく瞬間を目の当たりにしてしまって、あぁ、またこの経験をしてしまった・・・と心が砕けるような気持ちでした。

亡くなってすぐはどうしても誰かと話す気分にはなれなかった。

なのに、なぜかとても冷静なもう一人の自分(?)もいました。

『スピリチュアル』とか苦手です

立て続けに看取ることができたのには何か理由があるのかもしれない

私はスピリチュアルがすっごくすっごく苦手なので、声が聞こえるとか何かの思し召しとかそういう言葉はどうしてもインチキくさく感じてしまいます。

だけど、涙は止まらないし誰とも話したくないと思っているのに、同時に「何か理由があるのかもしれない」なんて思ってしまっている。

ただ、この歳になって自分に起こることは必ず何かの意味があるんだと考えることはよくあります。。

そう思えば私の苦手なインチキくさいスピリチュアルとしてではなく、スーっと腑に落ちた感覚になれました。

私みたいな辛い思いをしている人はきっとたくさんいらっしゃると思います。

「最後を看取ることができたんだからよかったじゃない」
「(あなたが)いない時に死ななくてよかったと思わなくちゃ!」

言った人は決して意地悪で言った言葉ではない。だけど、他にもっと心に寄り添えるような言葉や行動ができるのではないか・・・

だから決めた

私は仕事柄、心理学やカウンセリングについて少しですが学んでいます。

それもあって、今回新しく人と動物のグリーフケアについて少し深く学んでみたいと思いました。

資格が欲しいわけじゃない。知識が欲しいんです。

そして得た知識を経験として生かしていきたい。

悲しみは一瞬で消えることはないけれど、寄り添いほんの少しでも癒すお手伝いがもしかしたら私にはできるかもしれない。

いや、できないかもしれないけど、少しでも誰かの役に立てるようなことをやっていきたい。

大きな存在だった彼らの死を、ただ悲しみに明け暮れるだけで終わらせるのは辛すぎる。

正直、今もまだ私自身にそのケアが必要だと感じています。

だけど学びながらとりあえずは自分を癒してはいます。

本当は誰かに癒して欲しいところだけど・・・なんて(笑)

私は自分の経験をできるだけ誰かに還元できるように学ぶことを決めました。

できたらこのblogでもその経過を記録していけたらいいなと思っています。

まだしばらくは涙が止まらない日が続くかもしれないけど、一緒に過ごした日を懐かしくそして大切な時間だったと思えるようになるために。

私は人と動物のグリーフケアを学びます。

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